So-net無料ブログ作成

人類の共有財産としてのネット情報 [随想]

先日、piano1001というサイトをレフティおじさんと言う方が復活されたと言う記事[1]を書きましたが、それに関連して思うところを書いてみたいと思います。

piano1001は大変優れたピアノの弾き手によるmidiファイルの宝庫でした。midiファイルというのはいつ、どの鍵盤を、どのような強さで打鍵するかが記述されたファイルで、再現する音源により、音は変化します。通常、windows付属のドライバーで再現するとあまり良い音は出ませんが、有料の音源や私のように電子ピアノで再現するとすばらしい音が聞けます。電子ピアノで再現できるものはmidiファイル以外はありません。ピアノ学習者にとってはとても貴重なサイトがpiano1001でした。

その宝庫のサイトが作者死亡により、閉鎖されました。たぶん、クレジット会社からお金が落ちなくなってプロバイダーがサイトを閉鎖したのではないかと想像しています。このようなことはどのサイトに起こっておかしくありません。無料のサイトでも一定期間更新がないと閉鎖するところもあるようです。

さて、インターネットは便利な場所、単なる楽しみの場所を超えた存在になりつつあります。piano1001のように文化的に貴重なサイトもあれば、まだ歴史の専門家が取り上げていない歴史的証言をしているサイトもあります。法律などの重要で有用なサイトもあります。しかも通常、一般人にわかりやすく書かれています。自然を詳しく観察したものもあります。このような貴重な情報が作者死亡で消えてゆくはいかにももったいないことです。これを大衆文化財ととらえ、残してゆく努力が必要ではないでしょうか。国会図書館がそのような活動をしていますが、彼らのデータに私たちは簡単にアクセスできません。

提案としては1つだけです。

「プロバイダは金銭が払い込まれなくなったウェブページやブログなどのサイトは閉鎖せず、更新不可にする。」

こうすることで情報は保持されるはずです。更新ができなくなることで商売上も問題はないはずです。もちろん公序良俗に反するものは今まで通り閉鎖してもかまわないと思います。

このような措置をとれば、年々、インターネットは深みを増します。100年たてば、100年前の人の考えに直接アクセスできます。古いネット空間にはそれだけで価値が出てくるものと思われます。

日本の片隅のブログでこのようなことを書いても何の影響力もありませんが、少しでも多くの人に考えを共有できたら幸いです。

[関連情報]
[1] piano1001復活!,10/11/11



2010-11-18 00:00  nice!(7)  コメント(6)  トラックバック(0) 
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いま日本アニメが浮世絵の轍(てつ)を踏もうとしている [随想]

いつも私のブログを訪問頂くながぐつさんが「日本の芸術政策に思う」[1]と題して記事をお書きでした。私も意見があるのですが、長くなりそうなので、ながぐつさんへのコメントではなく、自分の記事にしてみたいと思います。

ながぐつさんの記事は芸術政策全般とともに特にアニメの殿堂に関して述べておられます。本日の私の記事はそのうちアニメの殿堂について書いてみたいと思います。芸術政策全般はまた別記事にしたいと思います。

アニメの殿堂は、特に当時の首相が漫画好きだったため、それに関連づけ、つぶすためにマスコミにより付けられた不名誉な名前です。本当の名前は国立メディア芸術総合センターといいます。ちなみに当時の首相が漫画好きだから計画したものではなく、その首相が首相になる前から計画は立ち上がっていました。ここから世の中には誤解があります。

実は設立者の中によく知った知人がおり、当時、その知人が記者会見でマスコミに悪者にされているのを見ているのはとてもつらかったです。私も知人がいるからこそ、この問題について深く考えることができました。私の意見は国立メディア芸術総合センターは必要だと言うことです。

しかしながら、政権交代の1つの象徴にされたことも知っており、そういう案件が政治上復活しないことは明らかです。現実的には、この案は一度白紙撤回し、形を変えた提案をすることが政治的には重要です。そして復活するためには、政治家、官僚が動く必要があり、官僚を動かすものは、1つ目が情熱、そして、適切な作文です。やはり、計画が正しいことを作文で証明する必要があります。また、国民に理解を求めるためには、簡単な理屈で構成されたコピーが必要です。その理屈は必ずしも正確なものである必要はなく、人の心を動かす理屈が必要です。そこで、それを作ってみようと言うのが、今日の記事です。もちろんこんな匿名ブログに書き込んでも社会的影響力は全くないのは知っています。

コピー
「いま日本アニメが浮世絵の轍(てつ)を踏もうとしている」

作文
「浮世絵がゴッホをはじめとする西洋の印象派の画家達にジャポニズムとなって強い影響を与えたのは周知の事実である。西洋の画家達を写実から開放したのは日本の浮世絵であったといっても過言ではあるまい。しかしながら、日本自身が浮世絵の価値が分からず、西洋画に価値を求めたため、浮世絵は衰退し、職人も離散し、版木をはじめ、浮世絵を構成する物品は廃棄、離散していった。わずかに西洋の美術館に持ち出されたものが現在重要な浮世絵の版木の一部となっているのは悲しい現実である。

浮世絵は立体感をあえて出さず、写実でなく、デフォルメしたところに価値がある。そして、その性質をそのままに動画として動き出したのがアニメーションである。日本のアニメーションは世界の最高水準であり、世界中で見られていることは日本人が誇るべき事実である。しかし、セル画をはじめ現場で使われている物品は離散・廃棄されつつあるのが現実で、また、そこで働く人の待遇は満足できるものではない。いまこそ、アニメーションは日本国が後世に残すべき文化であることを、日本人自体が認め、保存、復元に努めるべきである。また、人材の育成も国家の重要な課題であり、その中心となる施設は必要不可欠である。そこでここに国立アニメーション美術館の設立を提案するものである。」


どうでしょう。メディアと大きくつかんだ前案からアニメーションに特化させ前の案と区別しました。国立漫画喫茶と言われた現実を踏まえ今回は漫画には我慢して頂くのが適当でしょうが、いずれは漫画の保存も必要でしょう。また、浮世絵の例を挙げ、今の状況に焦燥感を抱くようにしました。

突然、変な作文をしたのでびっくりされた方も多いかも知れませんが、世の中の流れに逆らって考えていることを書いてみました。


[1] ながぐつ:日本の芸術政策に思う, 10/09/25


2010-09-30 00:00  nice!(12)  コメント(22)  トラックバック(0) 
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うちのピアノから見る日本経済の歴史 [随想]

先月、中古ピアノを購入したことは前に紹介しました[1]。そのアップライトピアノの機種名はYAMAHA U3Gで、1971年製のかなり古い機種です。アコースティックピアノは一台一台違う音がするので、聞き比べて娘が気に入った音がこのピアノでした。購入価格は約300,000円でした。

このU3シリーズ、皆さんに自慢できるような高級機種ではありません。最下位機種ではありませんが、庶民が買うピアノです。YAMAHAのウェブページには歴代の機種のラインナップがあります。YAMAHAのピアノをお持ちの方は一度確認されてはいかがでしょうか。

http://jp.yamaha.com/products/musical-instruments/keyboards/successive/

さて、このU3シリーズのページは以下のページです。

http://www.yamaha.co.jp/product/piano-keyboard/successive/index-002.html#U3series

この中から抜粋してみると日本経済が見えてきます。

機種名 年代         価格
#300  1946 ~ 1953    260,000
U3A  1954 ~ 1959    260,000
U3B  1954 ~ 1962.4   280,000
     1962.4 ~ 1963   265,000
U3C  1959 ~ 1962.4   260,000
    1962.4 ~ 1965    246,000
U3D  1959 ~ 1962.4   280,000
    1962.4 ~ 1964    265,000
U3E 1965.5 ~ 1966.4   270,000
    1966.4 ~ 1970.3   266,000
U3F 1970.3 ~ 1971.3 290,000
U3G 1971.3 ~ 1972.4 300,000  うちの購入機種
U3H 1972.4 ~ 1973.4   300,000
    1973.4 ~ 1973.12  350,000 第1次オイルショック(1973)
    1973.12 ~ 1974.7  400,000
    1974.7 ~ 1980.9   450,000 第2次オイルショック(1979)
U3M   1980.9 ~ 1982.12 510,000
U3A    1982.12 ~ 1987.2 550,000
U30Bl 1987.4 ~ 1989.3 565,000
       1989.3 ~ 1989.9 515,000
U30A   1989.10 ~ 1992.6 580,000 バブル景気(1986~1991)
       1992.7 ~ 1994.3 610,000
U300   1994.3 ~ 1997.8  660,000

日本がだんだん豊かになってピアノの値段もじわじわ上がってきた1971年製のピアノが私が買ったU3Gです。

その後、1973年と1979年のオイルショックとそれによる物価上昇によりすごいペースでU3シリーズの価格が上昇しています。

そしてしばらく安定期のあと、バブル景気でまた急激に上昇しています。

物価上昇やその時々の経済情勢でピアノの価格も動いていることが分かります。もしかしたらU3シリーズが滅んだのはその後のデフレ経済のせいかもしれません。

現行機種で名前が似ているのは
YU33 829,500円
です。これが後継機種かどうかはわかりません。

そしてもう1つ、うちのピアノU3Gは1971年の定価は300,000円で、なんと2010年の中古価格も300,000円という面白いことになっています。物価上昇分を考慮してもピアノというものは価値が下がらないものなのだなという感想も同時に持ちました。電子ピアノはここまで価値を保つことは不可能でしょうね。

PS:グラフにすればよいのですが、今日はその気力が出ませんでした。

[関連情報]
[1] ピアノがやってきた! , 10/08/19


2010-09-23 17:54  nice!(13)  コメント(24)  トラックバック(0) 
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生誕・没後~周年 [随想]

この記事で100記事目のようです。音楽が最も不得意な人間が始めた音楽ブログにしてはよく続いているなと思っています。仕事は音楽と関係ないし、楽器の演奏が趣味であるわけでもないので、ブログを始めた時点で書きたかったことはもう全部書いたという感じで、ネタ切れとの戦いが最近は続いています。100記事も書けたのは、いつもご訪問頂きコメント頂く皆さんのおかげとこの場を使い心から感謝申し上げます。niceを頂いている人にも感謝します。では本日の記事です。

ご存じの通り、クラシックの世界で毎年皆が心待ちしている新作が発表されたり、皆が支持する新人が生まれたりしませんので古い時代の作曲家を大事にします。そこで作曲家の生誕~周年や没後~周年というのがなかなか重要なことになっているようです。

クラシックの世界では作曲者は星の数ほどいますが、皆が知っている有名な作曲家で今年記念の年を迎えたのが
2010年 生誕200年 ショパン(1810-1849)
2010年 生誕200年 シューマン(1810-1856)

です。今年のピアノのリサイタルはショパンが大半ですね。そして例年よりシューマンも多いようです。マスコミもこの2人を取り上げることが多いですね。このブログを訪問頂いている方には分かると思いますが、もう1人忘れてもらっては困るのが

2010年 生誕150年 マーラー(1860-1911)

です。ファンとしてはどうも先の2人比べて陰が薄いのが気になります。それで私のブログくらい盛り上げようとマーラー特集をしている訳です。しかし彼の没年をみると、なんと来年もマーラーイヤーではありませんか!

2011年 没後100年 マーラー(1860-1911)

来年もマーラーイヤーを楽しめるとはうれしいですね。ということで、このブログが続いていればマーラー特集も続くことになります。もっともそんなにネタはないのではないかと不安ですね。もう1つ、鬼が笑いそうですが、来年忘れてはいけないのが

2011年 生誕200年 リスト(1811-1886)

です。リスト全集などCDもいっぱい出そうで楽しみです。リサイタルもリストが増えそうです。ただ、子どもが演奏する曲としては難曲ぞろいですね。あまり先を考えても楽しみがないので調べるのは2011年までとしましょう。


2010-08-26 00:00  nice!(12)  コメント(23)  トラックバック(0) 
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読書とそのBGM [随想]

最近は読書をしなくなりなりました。抽象的な表現ですが、どちらかと言えば今はアウトプットの時期と思っております。そんな私も以前は読書は結構好きでした。子どもから若い頃は読書にスピードと量を求めておりましたが、ある時期から、ゆっくり時間を掛けて味わって読むようになりました。多くの本を求めるのでなく、多くの感動を求めるようになったと言うことです。小学生が本を読む速度で読みます。はじめはいらいらしましたが、慣れるとテレビのナレーションのようでだんだん心地よくなります。

私の読書の傾向は一口で言えば古典です。例を挙げておきます。

ホメロス:イーリアス、オデゥセイア
古事記、日本書紀
旧約聖書、新約聖書
仏典の数々
エジプトの古文書
ギリシャ神話や古代ギリシャ時代の書籍

この分野の専門家でないので、原語で読める訳ではありません。日本語訳のものを読みます。上のものは岩波文庫でかなりそろいます。これらの古典には読み方があります。古代人のペースで読むべきです。昔の人は今のようなスピード社会で生きていません。現代人が古典を読むとものすごく退屈です。遅々として話が進みません。古代人の時間感覚を持つことさえできれば、そこにはすばらしいファンタジーの世界が広がっているのです。加えて解説すれば、日本の古典はあっさりしすぎてます。もっと時間を掛けて詳しく解説して感動させて欲しいところです。

さて、読書するとき重要なのがBGMです。適切なBGMはより感動を増します。私の趣味からどうしてもクラシックを選びますが、典型的な例をあげて見ましょう。

ケルト人の言い伝えで、12世紀のフランスではやり、後の西洋の恋愛観の
基礎を気づいたとされる書。それは

パティエ編、佐藤輝夫訳: トリスタン・イズー物語, 岩波文庫

です。この本を読んだときは、まず、古の人の時間感覚になっていますので、すぐに読み始めることはしませんでした。まず、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」を購入して、それから、これを聞きながら、ゆっくりした古典の世界へ入っていきました。12世紀なので、上記の古典と比べれば、心地よいペースで話が進みます。

Wagner : Tristan und Isolde
ルネ・コロ テノール
マーガレット・プライス ソプラノ
ライプチヒ放送合唱団
ドレスデン国立管弦楽団
カルロス・クライバー指揮
POCG-3064

Leighton-Tristan_and_Isolde-1902.jpg
wikipediaより トリスタンとイゾルデ(エドモンド・レイトン画)

古典を読むときは、私のお気に入りのBGMはワグナーとマーラーです。古典はヒーローの世界、ヒロインの世界です。とくに悲劇が感動を呼びます。そしてワグナーとマーラーがしっかりとその感動を増幅してくれます。

本日の記事では私の読書の方法とそのときのBGMが中心で、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」や12世紀の古典「トリスタンとイズー」については語りませんでしたが、機会を設けてまた、記事を書きたいと思います。皆さんはどのように読書されていますか。


2010-07-22 23:00  nice!(12)  コメント(24)  トラックバック(1) 
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コンピュータがピアノを演奏する時 [随想]

前に「コンピュータ支援型ピアニストは登場するか」[1]と言う題でコンピュータと演奏家の協力関係について考えてみましたが、今回は対立軸の中で考えてみます。

1997年にコンピュータがチェスの世界チャンピオンに勝ったというニュースが伝えられました。このときは衝撃的なニュースであったと思います。ただ、だからといって人間がチェスをやめる訳でもなく、世界チャンピオンの価値がなくなった訳でもなく、現在もチェスは世界中で楽しまれております。もちろんコンピュータやプログラマが人間の大会に出場できる訳ではありません(一部を除く)。

将棋の世界でもコンピュータプログラムの発展はすさまじくプログラム同士の世界大会のニュースが一般紙に載ったりします。まだまだ名人・竜王に勝てるレベルには達していないのですが、たぶん、名人・竜王に勝つ日もそのうち来るものと思われます。将棋連盟もプログラムとの勝手な対戦を禁止するなど緊張が伺えるますが、たとえそのXデーが来ても、将棋のプロの社会的地位が落ちることもなく、プロのタイトル戦にプログラムが出場できる訳でもありません。

昔はその実用性から珠算を習っていた人も多かった思いますが、現在では人間が高速に計算できる実用的な意味は見えません。徐々に珠算をやっている子どもの数は減少していますが、町のそろばん塾は減少したとはいえ残っています。私は珠算は日本の伝統技能としてこれからも残っていくものと考えています。もちろん全日本珠算選手権大会にコンピュータは入れてもらえないのです。

さて、電子ピアノやソフト音源の発達はすさまじく、これから10年程度で本物のピアノと変わらなくなると予想しています。つまりDTM(desktop music)で本物のピアノと同じ音が出せる時代が迫りつつあります。私など腕が悪い人間は別として、DTMを極めた人が、音の出力としてはピアニスト同等またはそれ以上の演奏が行われる時代がくるかもしれません。そしてそのような人のCDが売り出されるかもしれません(現に売り出されている)。しかし、舞台に電子ピアノが置いてあって、演奏者がボタンを押したら演奏を始めるリサイタルへ人はいくでしょうか。機械が演奏した曲のCDを買うでしょうか。もちろん答えはNOです。チェス、将棋、珠算の例からも明らかなように、ピアニストはDTMの演奏者を相手にする必要はないのです。

今回の随想は自分への戒めも込めて書いてみました。

[関連情報]
[1] コンピュータ支援型ピアニストは登場するか, 10/01/07


2010-07-08 00:00  nice!(13)  コメント(25)  トラックバック(0) 
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クラシック音楽は生きているのか。 [随想]

20世紀に生きていた大作曲者の存命期間を書き出してみます。そこから何か見えてくるでしょうか。その筋の人や通でなく、一般のクラシックファンがコンサートに行きたいなと思える作曲者を選んでみました。

グリーグ 1843-1907
マーラー 1860-1911
ラフマニノフ 1873-1943
プロコフィエフ 1891-1953
ストラヴィンスキ 1882-1971
ショスタコーヴィチ 1906-1975

たぶんサティ(1866-1925)や武満徹(1930-1996)も入れろなどいろいろな御異論もあるでしょうが、とりあえず私の感覚で選びました。

(1) ストラヴィンスキ、ショスタコーヴィチの後、一般の人々がその作曲者の作品を楽しみにする作曲者は現れていないようです。クラシック音楽はストラヴィンスキ、ショスタコーヴィチとともに死んだのでしょうか。現在は再現芸術としてのみ一般人に支持され、新曲を発表する大作曲家は滅んだのでしょうか。

(2) どうも西側世界ではいち早くクラシック音楽に対する一般人の関心はなくなり、それとともに、新曲を楽しみにしてもらえる作曲者はいなくなったようにも思えます。このリストの中ではロシア出身者が多いですね。同じくロシア出身のラフマニノフも彼もピアニストとしての活動に忙殺され、作曲に時間が取れなかったようです。すでにクラシックの死はラフマニノフを蝕んでいたようです。

(3) ロックなど西側の音楽を拒絶した共産圏でクラシック音楽はかろうじて生き残っていたのは確かで上のリストを見ても見て取れます。しかし西側に渡った作曲家は多いですね。

最終的にクラシック音楽を死に導いたのは現代音楽のように思います。新しい形式を作り上げた作曲者のみが名を残してきたクラシックの伝統から当然の流れで新しい形式の現代音楽が作られましたが、一般人には難解で理解が得られませんでした。ストラヴィンスキーの「春の祭典」で聴衆が騒いだ話は伝説になっていますが、このころから少し危なかったように思います。彼の音楽はかろうじて一般人に理解されました。私には、現在、形式は新しくありませんが、クラシック形式の音楽は映画音楽にのみ一般人に支持されているように思えます。

クラシック音楽をもう一度生き返られせるためには
「クラシック音楽ルネサンス」
が必要であるように思います。古典復古はいかがでしょうか。新しい形式でなくていいではありませんか。例えばベートーヴェン形式の新曲でもよいではないですか。お金にならないと生き残れませんので、一般人を巻き込んだ形でクラシック形式の作曲が、もう一度、活動を始めることを祈ります。まるでJ-POPの新曲のように、「今年の誰々の新曲が楽しみだ」という生活をしてみたいです。

このブログはピアノに関するブログなので、作曲家でピアニストの村松崇継さんの活動[1][2][3]をひとつ紹介します。村松崇継さんの新曲はドラマなどで有名で、一般の人が新曲を楽しみにしています。なにかヒントになりますでしょうか。

今日の記事はちょっと極論になってしまいましたが、問題提起とお考えください。

[関連情報]
[1] 村松崇継オフィシャルウェブサイト
[2] 村松崇継, wikipedia
[3] 村松崇継オフィシャルブログ


2010-06-03 00:00  nice!(14)  コメント(24)  トラックバック(3) 
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ピアノと油絵(その2) [随想]

芸術の双璧とはいえ、かなり違った世界である音楽、その代表のピアノ演奏と美術、その代表の油絵の世界を比較する大胆な企画の第2弾です。

油絵は木枠に生地を張ったキャンバスをイーゼルに乗せ、油絵の具と油を混ぜ、筆で描くのが標準的は描画法です。しかし、これは絶対ではなく、油を使わなければ、使わないでも描くことができるし、筆は使わなくて指で描いてもかまいません。標準的なキャンバスである必要もありません。しかし、描きやすさから言えば、通常のキャンバスと筆、またはナイフを使うのが便利です。このとき、制限はキャンバスの大きさが決まっていることです。中には額縁にも絵の具を塗ってしまう画家もいますが、異端でしょう。そして、手前方向へは、絵の具の厚さで盛り上げることまでしか事実上許されていません。もちろん規則があるわけではありませんので、3次元的に造形する人もいますが、これは絵画の範囲を出ているものと思われます。このような制限の中で、芸術的価値を失わないように今までにない表現をすることが絵画の価値を決めます。

ピアノ演奏は再現芸術とも言われますが、油絵の世界を見た後ではあまりにも自由がありません。作曲者の意志は絶対で、作曲者の書いた演奏記号に沿って演奏しなければなりません。演奏者に与えられている自由は標準的な演奏の周りのちょっとした自由度です。どうして自由に弾いてはいけないのでしょうか。1つはコンクールの存在です。ピアニストへの道は厳しい競争の世界です。そして生き残るピアニストを選別する一番一般的な方法がコンクールです。コンクールでは審査員は雰囲気ではなく、厳格で公平な基準によって審査すべきと考える傾向があります。よって、ミスタッチは問題外として、曲のここはこうあるべきであるという価値観のもと審査するのかもしれません。ここで演奏記号を無視して演奏すれば、減点され、結局、生き残れません。このように自由に演奏する人は淘汰されてしまいます。本当にこれでいいのでしょうか。題名は忘れましたが、前に仲道郁代さんの番組を見たことがあります。仲道さんが、ショパンゆかりのピアノを弾いたりショパンの手書きのコメントの入った楽譜を見ていました。そこで彼女が発見したものはショパンは自身の楽譜にp(ピアノ)と書いていても、弟子によっては手書きでf(フォルテ)と書き直して演奏させていたということです。(逆だったかよく覚えていません)つまりショパンは自分の楽譜を神の作ったもののように取り扱うのではなく、弟子の個性に合わせて変更することを許していたし、それを薦めていたと思われます。

ピアノの世界だけを見ていたのでは、現状が当たり前に成りすぎて、不思議に思わなくなります。個性を争っている油絵の世界をみて、ピアノの世界をみれば、現状が間違っているのではないかと疑問が湧いてきます。例えば、音符は最低限守らなければならないが、テンポ、強弱は自由として、個性を競うコンクールは開けないのでしょうか。審査が難しすぎて不可能なのでしょうか。この問題、深く簡単に答えがでませんので、問題提起をして終えたいと思います。

PS:新しいコンピュータが届きました。リプレースのため、コメントへの返事が遅れると思われます。


2010-05-13 00:00  nice!(11)  コメント(22)  トラックバック(0) 
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ピアノと油絵 [随想]

私からすれば全くの異世界の文系の世界には、比較文化論なるものがあります。一度も講義を受講したこともなければ、本も読んだこともないのに、今日は素人の私が、ピアノと油絵の世界を比較してそこから何かが見えてこないか考えてみます。

音楽も絵画も芸術の双璧をなすもので、子どもを含め誰でもとりあえず楽しむことができる世界です。通常、こういう世界で生計を立てるのは大変難しいことで知られています。

ピアノの世界でプロになるためにはコンクールに出て、しかも、名のあるコンクールで優勝もしくは上位入賞するのがもっとも一般的な方法でしょう。もちろん才能を見いだされていきなりリサイタルと言う人もいることはいます。

油絵の世界でも似ていて、やはり名のある公募展に出展して、賞をとることを重ねているとだんだん絵が売れてくるようです。

このように世に出る方法は大変似ています。このシステムは才能を計るシステムであり建前上公正なシステムが構成されています。素人の人には審査員の好みで判定していると思っている人も多いのですが、審査員からすれば、大まかのスケールで演奏や作品の善し悪しはほとんど審査員間に意見の相違がないようです。もちろん、誰がナンバーワンを決めるときの細かなスケールの判定では好みが出るようです。このコンクールや公募展という才能を測るシステムはピラミッド構造になっていて、子どものものから、プロへの登竜門まで様々な形で用意されています。

似ているところを考えても何も見えてこないので、ピアノと油絵の違いを見て行きましょう。

ピアノの難しいところは3歳とか5歳とか小さいときから始めなければならないことです。そして休まずずっと弾き続けていかなければ、弾けなくなるということです。

これに対して油絵は素養があれば多分高校生になって始めても美大の受験には間に合うと思います。また油絵は何年も描かなくても少々のリハビリでまた描けるようになるようです。

ピアノの世界では事実上年齢制限があり、ある年齢までにあるレベルに達していないとプロへの道は閉ざされるようです。具体的には名のあるコンクールには年齢制限が通常あります。

これに対して、美術の世界では学生の公募展は別として、通常の公募展には年齢制限がありません。実際、アンリ・ルソー[1]のように日曜画家から退職後に本格的に油絵に取り組み、巨匠の1人になった人もいます。もっとも生前は今ほど評価されていた訳ではありません。

ピアノの世界は弾き続けなければならないので、趣味として弾き続けた人が、ある年齢に達したときに急に音楽に目覚め、すばらしい演奏を始めるということはないのでしょうか。ピアノの世界ではこのような才能は決して生まれないのでしょうか。それともそのような才能を見殺しにしているのでしょうか。ピアノの世界に生きている訳でない私にはわかりませんが、あなたの隣にピアノのアンリ・ルソーはいませんか。

「ピアノと油絵」いろいろ考えてみるとおもしろい違いが他にもあります。また、機会をとらえて書いてみたいと思います。

[1] アンリ・ルソー, wikipedia


2010-04-25 00:00  nice!(14)  コメント(22)  トラックバック(0) 
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小犬?子犬?仔犬? [随想]

うちの子ども初号がショパンの「こいぬのワルツ」を習っていたので、私もDTMによる演奏を本ブログで発表したりしていました[1]。この曲
Chopin: VALSE Op.64 No.1
ですが、英語では一般的には
minute waltz
と呼ばれています。とても短いワルツと言う意味でしょうか。実際は2分弱の曲なので、1分間のワルツとまでは短くありません。日本語では「こいぬのワルツ」として有名ですが、その漢字はどう書くのでしょうか。ネット上で調べると次の3通りが混在しているようです。

A、小犬のワルツ
B、子犬のワルツ
C、仔犬のワルツ

3つもあるんだ。とりあえず、漢和辞典で意味を調べると

小:ちいさい。こまか。また、接頭語としてして、こ。お。長さ、面積、分量、価値などの大きくないこと。
子:こども。むすこまたはむすめ。子孫。動物の子
仔:子。動物の幼少なもの

ということです。意味を考えれば

A、子どもとは限らない小型犬のワルツ
B、C、子どもの犬のワルツ

となります。「仔」はあまり使われない漢字なのでAかBのどちらかがいいのでしょうか(皆さんからコメントをもらううちに「仔」もけっこう使われることが判明)。私のイメージでは子どもの犬がころころ走り回っているイメージです。よってBが私のイメージにぴったりですね。

では日本語の話なので、日本の楽譜を見てみます。全音のショパン、ワルツ集を持っているのでこれを見るとAですね。私には大人の小型犬が走っている感じはしないのですが、誰か偉い人がこのように翻訳したのですね。この楽譜によればジョルジュ・サンド(George Sand)[2]が飼っていた小犬が自分の尾を追ってぐるぐる回る癖があってそれをショパンに写してほしいと頼んだそうです。ということはジョルジュ・サンドの犬の当時の年齢が知りたいですが、これ以上の情報は得られませんでした。

結論も何もないのですが、Aが権威がありそうで、Bが私のイメージにぴったりというところでしょうか。A,B,Cどれがが正しいのでしょうかね。読者の皆さんはどちらを使っておられますか。

------------------------------------------------------------------------------------

その後、matchaさんからコメントをいただき、Valse du Petit Chienがフランス語の原題で
あることを教えていただきました。私はいろいろ勘違いもありましたが、英語でminite waltz
なので、小犬のワルツは日本語だけの題名のように思っていました。多分、ショパン自体
が名付けた訳ではないと思いますが、誰かが付けたフランス語原題の日本語訳が小犬の
ワルツということではないでしょうか。詳細はまだまだ不明です。

[関連情報]
[1] ショパン 小犬のワルツ, 10/01/01
[2] Wikipedia : ジョルジュサンド


2010-03-31 00:00  nice!(7)  コメント(11)  トラックバック(0) 
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ブルグミュラーに学ぶ [随想]

うちの子ども初号はブルグミュラーを3曲弾いて、卒業ということになり、弐号はブルグミュラーにあこがれ、まだ習っていないですが、冒頭の部分を弾いてみたりしています。そんなブルグミュラーについて考えてみました。私は彼の人格や性格に関しては全く情報を持ちませんので、ご了承ください。

ブルグミュラーに関する基本的な情報は、その専門のサイト[1][2][3]に譲るとして、ここでは極簡単に紹介します。ヨハン・フリートリッヒ・フランツ・ブルクミュラー(Johann Friedrich Franz Burgmuller)(1806~1874)はドイツ生まれの作曲家・ピアニストです。作曲家としていろいろな作品を作曲していると様々なサイトには書いてあります。しかしながら、よく知られているは「25の練習曲」そして「18の練習曲」「12の練習曲」で、特に有名なのはこの中で「25の練習曲」と思います。また、彼が生きた当時としては、弟のノルベルト・ブルグミュラーの方が作曲家として有名だったということです。ちなみに肖像画は[2]をご参照ください。

さて、作曲家といえば、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン・・・有名な方はたくさんいらっしゃるのですが、一般のピアノファンは除外して、ピアノ学習者には、これら超有名作曲家と並んで記憶に残っているのがブルグミュラーではないでしょうか。たぶん、モーツァルトを弾いたことがない人の数が、ブルグミュラーを弾いたことがない人の数より多いのではないかと類推します。

ブルグミュラーはとても優秀な音楽家なのでしょうが、歴史に残る天才達と比べれば、大きな差をつけられていると思われます。その彼がこれほど世に名を残したのは、教育にまじめに携わっていたからではないかと想像します。「25の練習曲」はどう見ても子ども用の楽曲です。絶対に自分の弟子のために作曲したとしか思えません。そして、これらの作品達は限られたテクニックの中で十分な音楽性を持っているのです。つまりまじめに労力をかけて作曲しているのです。また、これらの作品は彼自身が作曲家として、当時の世界で認められるための作曲では決してありません。

世に名を残すことばかりが人生の目的ではありませんが、結果的に、身の丈にあった世界でまじめに働き、それが世にまたは後世に認められることがあるということをブルグミュラーの人生は教えてくれているような気がします。世の中の天才達は天才の生き方をすれば良いと思いますが、圧倒的多数のその他の人々にブルグミュラーは一筋の光明を見せてくれます。彼の生き様に私は親近感を感じざるをえません。

PS: 私のDTMによるブルグミュラ-の演奏は[4][5][6]を参照ください。

[1] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC
[2] http://de.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Burgm%C3%BCller
[3] みんなのブルグミュラー, http://www.piano.or.jp/report/02soc/bma/
[4] ブルグミュラ 25の練習曲 No.2 「アラベスク」, 09/12/19
[5] ブルグミュラ 25の練習曲 No.3 「牧歌」, 09/12/16
[6] ブルグミュラ 25の練習曲 No.12 「さようなら」, 09/12/13


2010-03-24 00:00  nice!(11)  コメント(24)  トラックバック(0) 
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なぜピアニストは若くから活躍する!? [随想]

Chopinの2月号の特集は「なぜピアニストは若くから活躍する!?」と言うものでした。私も内容が気になっていたのですが、ついつい仕事が忙しく注文せずにいましたら、いつの間にか全国的に売り切れアマゾンでは定価820円が1200円を超えておりました。表紙が小林愛美さん[1][2]だったこともあるかも知れません。そこへ江州石亭さんから増刷したという情報をいただき、購入しました。

この雑誌の答えはざっと言えば、音楽で重要な要素として技術と音楽性があり、ピアノは1台のオーケストラと言われる。そのため音楽性が育ちやすい。他の楽器では音楽性は遅れるというものです。

プロの意見は私の印象とは異なったものでした。私も少しは天才少女たちの記事[1][2][3]を書いて来ましたが、本日は素人の私の意見を書きます。

(1)圧倒的に音が出しやすい。
   ピアノが音を発する機構はメカニカルで、音を発する瞬間は指とハンマーは離れている[4]。
   つまり、人の微妙な感覚を入れにくい楽器である。他の楽器なら手で触れるとか、息を吹き
   込むとか人の技が大きな比重を占める。他の楽器が音を出すのに大きな労力が必要なの
   に対してピアノはとりあえず誰でもまともな音が出せる。極端な例としてネコでもピアノの音
   を出すことができるという記事[5]も書いた。
(2)ゲーム的操作性。
   ピアノは適切なタイミングで適切な強さで打鍵する楽器で、これはゲームとにてる[6]。基本
   的にゲームと言えば、大人も子どももない世界である。通常は子どもの方が上手である。
(3)ひとりで練習できる
   ピアノは伴奏が不要で、自分で完結した楽器なので、子どもでもピアノと意欲があれば、
   1人で本格的練習までできてしまう。
   
もちろんピアノが他の楽器に対してやさしいかと言えばそんなことはなく、とりあえず音は出るものの、他の楽器より圧倒的に多くの音を同時に出すことが要求されるのです。そして、その多くの音1つ1つに気を配らなくてはいけないので、バイオリンのように1つ(少数)の音ばかりに集中できないのです。

今日の記事は最近の記事([1]-[6])の総まとめのようになってしまいました。

そういえば、このChopinの中で、ある大御所ピアニストが子どものころからぬきんでていないと世界で活躍できないと、ピアノを習っている青少年の夢を打ち砕くようなことをおっしゃっていました。

読者の皆さんのお考えも教えてください。

PS: 今日は2ヶ月ぶりの休日を満喫。子どものピアノレッスンも行ってきました。

[関連情報]
[1] 小林愛実プレミア・コンサート, 09/12/14
[2] 小林愛実デビュー!, 10/02/13
[3] Umi piano, 10/02/14
[4] ピアノに音色はない!?, 10/01/27
[5] ピアノを弾くねこ Nora, 10/03/03
[6] ショパンコンペティタ養成ギブス, 10/03/06


2010-03-14 23:00  nice!(11)  コメント(24)  トラックバック(0) 
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ショパンコンペティタ養成ギブス [随想]

本記事の目的はただ苦笑して頂くことにあります。

ゲーム。それはすごい機械です。通常子どもは親に怒られるまで、やめることができません。疲れていても、宿題があっても、どうしても続けてしまうのです。シューティングゲームは微妙な自身の移動と適切なタイミングで、ボタンを押さなければ、クリアできません。そして子ども達は失敗しても何度でも挑み続けるのです。

一方、ピアノの練習を好きな子どもはいません。通常、いやいややっていて、弾けるようななるとうれしくて、何度か弾きますが、基本は練習は嫌いです。そしてピアノは微妙に打鍵の強さを調整して、適切なタイミングで打鍵しなければなりません。

そうです。融合です。まず、譜面代には楽譜を置かないようにします。置くのは液晶ディスプレイ。そして、PCにつなぎ、電子ピアノ、もしくはサイレントピアノをPCにつなぎましょう。そしてシューティングゲームです。左右の鍵盤の位置で弾の方向を決めます。そして、打鍵の強さで弾を発射する強さを決めます。そこへ、敵が複数現れます。適切なボタンならぬ鍵盤を適切な強さでたたいたときのみ敵に当たります。そして、敵の現れ方はピアノ曲から作られ、よい演奏をしたときのみ、クリアできるのです。さあ、子ども達はもうピアノの練習から離れることができません。きっと、宿題があっても、疲れていても、親から怒られるまでピアノの練習を続けるのです。

そうこれが、ゲーム大国日本の開発すべき、「大リーガー養成ギブス」ならぬ、「ショパンコンペティタ養成ギブス」です。

PS:yablinskyは仕事が忙しくて、頭がおかしくなってきました。


2010-03-06 00:00  nice!(6)  コメント(13)  トラックバック(0) 
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私の音楽歴 [随想]

 私は音楽の素人であると、ブログ記事やコメント書いてきましたが、誤解されている面もあるようなので、この際、私の音楽歴を告白しておきましょう。「私の音楽歴」というと、通常、3才からピアノを始め、どこどこ音大を卒業し・・・誰々に師事し・・・というものでしょうが、それとは似ても似つかぬ話です。

 まず、小学生のとき、音楽の時間のハーモニカでつまずきました。息をはいたりすったりして音を出しますが、ドレミファソラシドと続けて演奏することはできても、曲を演奏するとなると、その音が吸うのかはくのか分かりませんでした。

 リコーダーになると吹くだけなので少し安心できましたが、笛のテストの前の日に何時間も練習していくまじめさはあったのですが、本番では間違えてしまっていました。それに本人は正確に吹いてるつもりでも、先生から見るとかなり違っていたようです。未だにどんな演奏だったのか理解できずにいます。

 結果として、当時の成績は5段階評価だったのですが、通常2で、たまに運がよいと3でした。義務教育は私に徹底的に苦手意識が植え付けられたといっていいでしょう。

 そんな私に輝かしいときが来ました。中学に入り、何年生か忘れたのですが、その学期は音楽の理論中心の授業が行われました。つまり楽器の演奏がなかったのです。今はもうばれていますが、私は理系なので、音楽理論はとてもなじめました。そして、私の音楽歴に燦然と輝くその時が来たのです。いまも忘れえぬこと、最高の成績をいただきました。このときが私の音楽歴の頂点です。当然、次の学期から成績は低迷を続け、高校に入ると、音楽と美術の選択制だったので、何の迷いもなく美術を選択しました。

 それ以降、音楽の世界とはつながりはなく、前に記事[1]にしたように、うちの子供たちのピアノ教室を大手から個人の先生に変えたのが、音楽との再会です。つまり2009年5月から音楽を始めたのです。そうなんです。私は正真正銘のど素人です。

 クラシック音楽を聴くのはずっと好きでしたが、自分が演奏するなど考えもしませんでした。DTM(desktop music)とは私にとって、頭の中にある楽曲のイメージを不器用な手を使わずに、コンピュータで表現することなのです。正体をばらしてしまいましたが、今後ともおつきあいのほど、よろしくお願いします。

 日本の音楽教育は私に徹底的に苦手意識を植え付けましたが、逆にいれば、日本の音楽教育はすごいです。私のようなど素人が、この年(ひみつ)でDTMを始めても、特に音楽の基礎的知識で困ることはないのですからです。

 つまり私は自分のもっとも苦手な分野でブログをやっている大馬鹿者なのです。ときどき長続きするかどうかとても不安になります。基本的にネタを持っていませんからね。

[1]そもそも, 09/12/23


2010-02-20 00:00  nice!(7)  コメント(12)  トラックバック(0) 
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演奏の著作権 [随想]

 先日、うちの子ども初号の演奏をアップロードしました[1]。本ブログの存在は実はピアノの先生には、まだ、話していません。ブログの性質上、通常、知っている人には、そのアドレスを教えないのは特殊な事ではないのと、単に、そのような話題にならなかっただけで、特に隠している訳ではありません。本日は初号の演奏をアップロードするとき、著作権についていろいろ考えたことを綴り、読者の皆さんの感想をお伺いしたいのです。

 今回の作曲者ブルグミュラは昔の人なので、著作権は消滅しており、この点は考慮する必要はありません。私の知識では演奏の著作権は初号に属しており、本人がアップロードしたいと言っているので、法律上は問題ありません。

 しかしながら、法律抜きに、常識で考えれば、初号の演奏はピアノの先生の指導の元、作られたものであり、特に初号は、まだ、独自性を出す以前の段階なので、ピアノの先生の作品であると言っても過言ではありません。大人の場合と違い、このような段階でアップロードをして良かったのかどうか悩むところです。

 音楽家の履歴書を見れば、他の業界にない特徴があります。それは、誰々に師事しといった部分で、多くの師事してきた先生の名前が並ぶことになります。こんなすごい先生の弟子なんだぞという意味もあるでしょうし、慣習だから仕方なく書いている人もいるでしょう。しかしながら、その演奏家が有名になれば、その演奏は、その師により作られたものであるにもかかわらず、その師は何の権利も有さないことへの、せめてもの感謝の気持ちとして、履歴の欄に師の名前を記すのではないかと想像しました。

 ちなみにレッスン自体は先生の著作物だと思いますので、本ブログにおいても、レッスンを事細かに解説して、先生の考え方を書くことは控えてきました。間接的に、レッスンの内容が垣間見える点もあったでしょうが、なるべく抽象的に書いているつもりです。

 私の悩みについてどのような感想を持たれますでしょうか。

[関連情報]
[1] 生演奏:ブルグミュラ 25の練習曲 No.3「牧歌」,10/02/07


2010-02-10 00:00  nice!(6)  コメント(15)  トラックバック(0) 
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通勤という贅沢な時間 [随想]

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 電車通勤をしている人には申し訳ないが、私の通勤は贅沢な時間です。うちの子ども弐号を幼稚園バスに乗せると通勤タイム。徒歩で25分程度、写真をごらんください。このような贅沢な通勤をできるのは全国に何人いるでしょうか。通勤の間、何をしているかと言えば、2/3程度は技術的に解決しなくてはならない楽しい仕事のことを考えています。間違ってもいやな仕事のことは考えません。そして1/3は曲想を練っています。いま打ち込んでいる曲を頭の中で再生すると、ここをこうしたら良いのではというアイデアが湧く時間です。難しい曲の再生に集中しすぎると曲を聴いている方の脳が働かないのです。このバランスがけっこう難しいですね。

 この通勤、楽しいばかりではありません。雨が降ると、防水靴にカッパです。もちろん台風のときは、枝が大揺れで、小枝がけっこう降ってきます。朝、雨で夕方晴れると、みんな普通のかっこうしているのに私だけカッパ姿。朝、晴れていて、夕方、雨の予想の時は、雨具一式、かばんの中。それに舗装されていませんから、雨が降るとどろどろ。

 雨の日もいれて、とても幸せな、大事にしたい時間です。

PS: ピアノに関するブログであるはずが日記調ですみません。曲想も練っているということでお許しください。
PS: ただいま関西方面に出張中です。コメントにはしばらくお答えできません。ご了承ください。

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2010-02-03 00:00  nice!(7)  コメント(15)  トラックバック(0) 
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ピアノに音色はない!? [随想]

 かなり、刺激的な表題を付けてみました。たぶん、読者の皆様にけんかを売っているような表題です。実は先日、ピアノの購入計画[1]に関する記事を書いたのですが、それはうちの子どもにピアノの音色を理解させるためであると理由を書きました。それを受けて江州石亭さんもピアノの音色に関して記事をお書きでした。この記事はもっと後で記事にするつもりでしたが、タイミングを考え、あえて!今!投稿します!

 最終的にはピアノに音色があることは、認めているのですが、まず、条件を設定します。

1、調律された同じピアノをど素人の私と、高名なピアニストが鍵盤を操作します。
2,このとき、如何なるペダル操作は行わないものとします。
3,この時、2人が鍵盤を押します。ピアニストはピアニストの全経験と全人生をかけてたった1つの鍵盤を打鍵。そして私は何も考えずピアニストが打鍵した鍵盤を打鍵。そのときたまたま鍵盤の最終速度が一緒だったとします。

 一方、ハンマーが弦をたたくとき、ハンマーは人間が鍵盤を最も深く押し切った時には人間の手とつながっているものの、その時点では音は鳴らず、人間の手とのつながりを離れて弦に衝突します。その運動はニュートンの第2法則により記述され、変位で運動方程式を記述したときは、初期値は2つあり、1つはハンマーが手の制御から離れる点の位置であり、この位置は変更しようがないものです。もう1つは初期速度で、これはたまたま2人が偶然に同じ速度を与えました。そうすれば、力学の法則に則って、ハンマーは同じ運動をし、弦をたたき、同じ音が出ます。

 もし、同じ音がでないと主張するなら、それは物理学との戦いになります。ピアニストがよい音を出すなら、ニュートン物理学が間違っていると言うことです。つまり、このような単純な状況下ではピアノには音色はないというのが私の主張です。

 このような単純な状況下では、初期速度のみが、実際に人間が操作できるパラメータということになります。強弱以外に音の種類はないのです。もちろん、ペダルのように実際に人間が直接弦に触れる場合は音色というものがあるのは知っていますし、鍵盤から指をはずすときのダンパー入れ方でも音色が出るのは知っています。

 実はpiano1001[2]さんもエッセイに同じことをお書きです。piano1001さんが先に書いたので、私が考えを盗んだようなものですが、特に理系のひとは自然に同じ考えに到達するのではないでしょうか。特に芸術系にひとに誤解があるようなので、衝突を覚悟して記事にしてみました。このような単純な状況下で、打鍵だけでもこうやって音色を出すという情報がありましたら、教えてください。

 実際の演奏は、もちろん初期速度による強弱だけではでません。打鍵のタイミング、テンポ変化、強弱やペダル操作等が複雑に組み合わされて、現れるもので、先の2人では、ピアニストは皆をほれぼれとさせる音色で演奏ができる反面、私の演奏はだれも相手にしません。

PS1: 私が理系だとばれてしましましたね。でもこのブログに来る人は、なぜか理系の人が多いのです(少なく見積もっても5人の方)。ふしぎですね。

PS2: DTMで強弱のことをヴェロシティ(速度)と言うのはこういう訳だとおもいます。

[関連情報]
[1] ピアノ購入計画, 10/01/23
[2]piano1001, 10/01/19


2010-01-27 00:00  nice!(5)  コメント(15)  トラックバック(0) 
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ピアノ購入計画 [随想]

 このブログをお読みの方はご存じだと思いますが、うちには電子ピアノしかありません。そこで、通常のピアノを買うべく、家人とともに計画を立て始めでいます。

 ピアノを買う理由はもちろんうちの子ども初号、弐号のレッスンのためです。さらに言えば、なぜ、通常のピアノかと言えば、いわゆる音色を使うことを子どもが理解できる環境を作るためです。

 では電子ピアノのどこが悪いのか、私の経験から考えてみます。電子ピアノは機械で通常の高級ピアノの鍵盤を決まった強さで打鍵し、それを録音し、電子ピアノを打鍵したときに、その録音したものをスピーカから発するピアノです。ですから、基本的には高級ピアノの音が出ます。うちの電子ピアノの場合、1つの鍵盤に対して3つの強さの音をサンプリングして、その間の強さは、3つの録音した音から作られると思われます。打鍵の強さに応じた無数の段階の強さで演奏はできるものの、音色で言えば3色ということになります。これでは音色は少なすぎると感じるのです。電子ピアノでは高級機種でも5色のようです。うちのピアノの場合、中くらいの強さの音には満足していますが、強く打鍵した時の音は、すごく強く打鍵しても、そこそこ強くなるだけです。また、すごく弱く打鍵した時も、本物のピアノのあの繊細な音がもう1つ出ていないような気がします。

 それから、ペダルの問題は大きいです。うちの子ども初号は足をのばしてやっとペダルに届きますので、これからペダルが重要になるところです。ダンパーペダルには音をのばす延音効果と周りの弦をいっしょに振動させる共振効果がありますが、どうもうちの電子ピアノには、延音効果はあっても共振効果はないのです。ですから、セオリー通りに打鍵の後、すぐにペダルを踏んでも、打鍵と一緒に踏んでも、基本的にはほとんど同じ音が出ます。これは通常のピアノがほしくなる大きな理由となります。ちなみにうちの電子ピアノは延音効果に関するハーフペダルの機能はあります。

 そこで大きな選択が来るのですが、グランドピアノか、アップライトかですが、グランドピアノは良いのは、明白な事実ですが、やはり、親の財力、家の防音、場所の確保を考えれば、現実はアップライトのような気がします。もうすこし練習好きなら、無理もするのですが・・・

 私の敬愛するヤブウォンスキ(ブーニンが1位の時のショパンコンクールの3位)もショパンコンクールの直前までアップライトで練習していたという例もありますので、グランドピアノでないとぜったにダメだという訳ではないと思われます。万が一!子どもが専門的な道を目指すなら(?)、そうしたら買い換えを考えても良いかなと思います。ちなみにアップライトでも品質の良い中古を考えています。

 ボーナスを考えると購入時期は半年後を考えていますので、まだまだ考える時間はあります。皆様の率直はご意見などいただけましたら、幸いです。

postscript: 昨年、ヤブウォンスキのリサイタルへピアノの先生と一緒に行きました。インタビューもあったのですが、思慮深く、ピアノにはとても誠実で、先輩を尊敬する、今は滅亡しつつある古い日本人的な方とお見受けしました。このリサイタル後、ヤブウォンスキがとても好きになりました。私の名前yablinskyも彼の名に関係しています。ヤブウォンスキの綴りはJablonskiなので、yablinskyとはちょっと違いますが・・・


2010-01-23 00:05  nice!(7)  コメント(20)  トラックバック(0) 
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かぜ薬と音感 [随想]

 3連休(2010年1月9-11日)は風邪を引いて家で寝ていた。しかし、熱がなかったのをいいことに3連休中日にはモーツァルトのK310プロジェクトを進めることにし、譜面を3ページばかり入力した。DTM(desktop music)ではテンポ変化や音の強弱をつける作業は楽しいが、音符の入力作業は退屈な作業だ。多分、手でピアノを弾く人の譜読みや暗譜に相当する作業である。(すこしスコアメーカーのOCR機能がうらやましくなる。)

 3連休中日に入力したものを電子ピアノで再生してみた。「めずらしく入力ミスがない」と思った瞬間、うちの子ども初号と家人からおかしいと言われた。「そんなばかな」と思っていると、初号がさっそく入力画面を見ながら間違いを2ヵ所指摘した。「うそー」いくら私がモーツァルトが理解できないにしても、もうCDで何回も聞いている曲である。入力ミスが見つからないとは、私はよほどのモーツァルト音痴なのか。

 それから何時間かして、気がついたのであるが、その日は、熱はなかったが、咳がひどかったので前にもらっていた咳止め薬を飲んでいたのだ。「これが犯人か!」そう言えば、前に、職場の先輩の家に呼ばれ、お酒を飲んだとき、そこの娘さんにピアノの演奏をリクエストしたのはいいが、曲名はわかるのだが、良い演奏かどうかがどうしてもわからないことがあった。お酒と同じとは限らないが、薬も脳を麻痺させるのだろうか。

 そこで3連休最終日は薬を飲まずに、入力作業を行い、電子ピアノで聞いて見た。「あ!わかる」入力ミスが発見できた。初号も同時に見つけた。音楽的経験が少ないため今まで気がつかなかったが、薬はどうも音感を狂わせるようだ。これは、音楽をやっている人には常識なのであろうか。それとも私特有の体質なのであろうか。


2010-01-13 00:06  nice!(9)  コメント(6)  トラックバック(0) 
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コンピュータ支援型ピアニストは登場するか [随想]

 DTM(desktop music)を直訳すると机上の音楽。本ブログの題名desktop pianoは机上のピアノ。ということで本日は「机上の空論」をお届けします。ある意味、音楽のダークサイドをお楽しみください。

 先日、私の子ども初号が「小犬のワルツ」の自分の4連符の演奏が変だと、相談してきた。自分の演奏を聴くと変なのは分かるが、自分がどう演奏しているのかは分からないらしい。これは、人間の脳がコンピュータとは完全に違った指の制御をしているためのようだ。初号は演奏を間違えると、そのスラーのはじめか、少し、前から勢いを付けて弾くと弾けたりする。これは、脳が指の動き1つ1つに逐次指令を与えている訳ではないのであろう。推測であるが、1つフレーズをまとめて、パッケージで記憶し、脳はそのパッケージに対して発動を指示するのであろうと思われる。話は戻すが、初号の演奏の変なところを、まず、MIDI化した。そしてピアノロールソフトで表示し初号に見せた。どうも最後の音が右手と左手が同時に打鍵してしまっていたようだ。演奏が速いため自分ではわからないところが人間らしい。この図を見せると初号は分かったといい、修正にかかり見事、演奏の変なところを修正したのである。たぶん初号は4連符のパッケージを修正したのであろう。このような経験から話を拡大させてみる。

 科学の世界では多くの科学者が数式を紙の上で書いている時代は遠い昔となり、一部の学者を除いて、多くの科学技術者はコンピュータを使って研究を行うのが当たり前の時代となったのはもう二、三十年前である。ビジネスの世界に於いても、ワード、エクセルから始まり、経理の専用ソフトやデータベースなど、コンピュータの支援なしにはビジネスは考えられない。そして、その流れはスポーツの世界にもおよび、オリンピック選手の動きをビデオにとり見るだけでなく、コンピュータにその動きを取り込み、力学的な計算なども行われている。また、変化球等のシミュレーションも盛んだ。伝統的な世界としては将棋界では現在の棋士はコンピュータなしには成立しない。過去のデータベースを駆使する彼らの研究はすさまじく、コンピュータのない時代と比較して、戦術の進歩の速度は速くなっている。たぶん、今の棋士は昔の名棋士より、遙かに強いのではないだろうか。

 では、コンピュータを道具として自在に操るピアニストは登場するであろうか。まだ、そのようなピアニストが現れたというニュースは聞かない。今回はそれがどのような姿か想像してみる。将棋の世界に習って考えると、過去の名演奏をwavファイルとして、コンピュータに取り込み、それをMIDI化する。そして、x軸に時間、y軸にピアノ鍵盤、z軸に打鍵の強弱(ヴェロシティ)を表示し、ペダルの踏み具合もまた表示される。同時にテンポ変化のグラフを表示される。そして名演奏の打鍵の強弱、間、テンポ変化を視覚的に学習するのである。過去のCDから多くの演奏を視覚的に学習し、自分の演奏に反映させる。これぞ、情報化時代のピアニスト像となる。ここで問題となるのは、wavファイルからMIDIファイルの変換が私の知る限り現在できていないいない点が挙げられる。3次元表示のピアノロールソフトはあるのだろうか。この点はプログラマーがその気になれば、いつでも作れるレベルであろう。自分の演奏をMIDIにすることは、現在でも簡単にできる。少なくとも自分の演奏を視覚的に観察することはすぐにでもできることであろう。

 以上、馬鹿なことを考えてみたが、あなたの近くにすでにコンピュータ支援型ピアニストはいるであろうか。


2010-01-07 00:10  nice!(7)  コメント(7)  トラックバック(0) 
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そもそも [随想]

こどもが大手音楽教室に通うようになり、いろいろ深く考えず電子ピアノを買ったのが、そもそもの始まりだ。始めはPC付属のマイク端子を使って、wavファイルでこどもの演奏を録音していた。それからUSBケーブルでPCと電子ピアノを接続し、ネットからクラシック関係のmidiをダウンロードして鑑賞していた。

それが今年(2009年)に入り、子供が個人の先生に習うこととなった。これを機会にmidiで子供の演奏を録音すれば、電子ピアノで再生できることを思いつき、midiケーブルでPCと電子ピアノを結んでしまった。そして、レッスンが日曜日になったので、こどものレッスンに一緒に通うようになり、同時期にネット上でstudio ftn score editorに出会った。軽い気持ちで先生の子供に要求する奏法をscore editorで打ち込んで行くと、これがはまってしまった!これが2009年5月でDTM(desktop music)との出会いである。

大手音楽教室の楽曲は子供用の曲で、興味が全くなかったが、個人の先生のところに通うようになり、元々のクラシック好きに火がついた形だ。それがブルグミュラであってもおもしろい。

今のところ子供にも良い影響を与えているように思う。基本的には親が価値を持つものに価値があると子供は感じるようだ。また、電子ピアノを親と取り合うことで子供の練習時間が増えるようだ。


2009-12-23 00:29  nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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